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2016年4月28日(最終更新日2016年04月28日):

駅伝

ビル・レッティ県縦断駅伝上田東御小県監督、市町村で監督復帰初采配。駅伝最高の環境テーマに上田市初優勝狙う――4月29日、長野県市町村対抗駅伝

第26回長野県市町村対抗駅伝競走は4月29日、松本平広域公園陸上競技場発着の9区間42.195キロで行われる。郡市対抗の秋の県縦断駅伝と対をなす春の駅伝に各市町村が総力で臨む。駅伝がロードに出ている間、競技場内外では12回目の市町村対抗小学生駅伝が短いコースで行われる。県縦の上田東御小県チームの監督を2期4年務めて2009年の初優勝など2度の優勝に導いたビル・レッティ(Bill Rettie)監督(52)が4年ぶりに復帰。市町村対抗上田市の指揮も執り、これが監督復帰最初のレースとなる。カナダから来日し28年この地に住んで、走る環境としての上田市のポテンシャルがきわめて高いと考えている。世界へ羽ばたく選手が育つ街となるために、まずは駅伝の成績から。上田市の初優勝を目指して挑む。

 

 

 

市民28年の地域貢献「上田は走る街になるべきです」

 

ビル・レッティ監督は来日して県縦断駅伝をランナーとして12年間、区間新1回など走って活躍をした。選手から監督となった2009年、上田東御小県の初優勝の胴上げで宙に舞い、一躍時の人となったカナダ人指導者は県縦の第一線を退いたのちも地元のジュニアクラブに日参するなど長距離走の現場に立っていた。晴天の日が多く、後背地にトレーニングのメッカ菅平高原を抱える上田市の環境が長距離走に非常に適していると評価。「この気候がすごくいい。走りやすい標高で高地トレーニングの効果もある。菅平もあることは素晴らしく、街なかでも山でも練習ができて駅伝には最高の環境」と指摘し、この地のポテンシャルをもっと引き出せばマラソンで五輪選手を生み出せるとまで考えている。

 

ビル・レッティ(Bill Rettie)監督

 

来日時、英会話塾で教えていたころから数えて28年、現在は国際ビジネスコンサルタント会社の代表で、副会長を務める上田国際交流事業を進める会で中学生のアメリカへの派遣交流などの事業を推進している。「長年上田に住んでいて、街のために貢献したい」。駅伝にかかわる気持ちはここから発している。上田市民としても年季が入った。県縦2度目の監督を引き受けた今回はもっとリーダーシップを発揮して環境整備に努める。市中心部の上田城跡公園陸上競技場の土のトラックを全天候に改修し、より質の高い練習ができるようにすることがこの期間に推進したいと考える事業だ。合宿の補助などに使う資金も不足している。「上田は走る街になるべきです」と力説し、気運は駅伝の成績から盛り上げる。市町村対抗駅伝の一般男子区間は信州大繊維学部の全日本大学駅伝級のランナーに加え、関東の大学の地元出身選手を呼ぶなど強力な陣容を整えて初優勝を狙う。

 

県縦上田東御小県の昨年15-16区。市町村4区予定の久保井廉選手(右)から八反田浩也選手へ

 

昨年の県縦9-10区。髙木孝亮選手(左)から補員予定の宮澤留以選手へ

 

レッティ監督の地域密着の活動は母国カナダのメディアでも報じられ、エキデンがどんなものかも紹介された。自身が上田小県(当時)の選手となったのが来日してから10年後の1997年のこと。そのころの上小は成績不振にあえぎ、選手も不足していた。マニトバ州代表とバンクーバーのサイモンフレーザー大の代表を経験し、15歳の1500メートル障害でカナダ2位になったこともあったランナーに近所の上田陸上競技協会幹部が着目した。学生から約10年のブランクがあったがいきなり2日間とも起用され、丸子から長門(当時)の7キロと2日目は飯田合同庁舎へのアンカー14キロ。車で下見をしただけの準備不足で臨んだ。出場10回目の2006年には42歳で区間新。チームは上田東御小県に改まって連続で入賞するチームになっていた。いろいろな区間を経験したが監督になって走っていない区間まで下見し、長野から飯田まで、全行程をアップダウンから何から熟知している。

 

駅伝は一人ではできない。どのチームでも強い選手ばかりをそろえられるわけでもない。たすきをつなぎ、あるいはつながらない。「監督の指導によって、力のないチームでも良い結果が出る。指導していると流れがわかってくる。いい指導を受ければ誰もが走れます」。個人が成長し、チームが成長する。レッティ監督にはこの部分にこそ駅伝の感動がある。ボランティアで指導に週15時間を費やすが「選手たちは本当にいい青年たち。一緒に過ごすのはいい時間です」と話す。2012年の県縦2度目の優勝で監督を退いてから旧丸子町のジュニアランニングクラブ腰越JSCの練習に赴き、小山保高監督と親交を深めてきた。大阪の全国小学生クロスカントリーリレー研修大会に5回出場の県内屈指のクラブで、予選会から全国大会までついて行った。「(日本の)全国大会を見るのは初めて。すごい経験でした」。さらに自身については「監督になって4倍成長しました。監督になると全体的に考えなければならない。すべての選手に監督の経験を味わってほしい」と言い、県縦ほどのレースを走った選手には地域の指導の担い手になってほしいと望んでいる。

 

「駅伝を本当に世界中に広げてほしいですね。オリンピックの公開競技になることも期待します。そうなれば最高だと思う。でも世界で日本と同じようにできるとは思わない」。フルマラソンでもなく道路を規制して行われることがまず考えにくいという。大会を支える大勢の役員と審判員。これも日本の駅伝ならではの組織力だ。県縦には沿道の応援がある。地元上田では中継点でチアリーダーが盛り上げる。「すごくいいと思う。外国でもやってみてほしい」と言い、県縦のことを「スポーツか文化かわからない。単純なリレーではない」とする。母国のメディアにもエキデンの魅力と感動を伝えた。

 

県縦初優勝の2009年は11時間55分18秒。おととしは上伊那が11時間41分36秒の大会新だった。中学女子区間が設けられるなど大会は区間構成を少しずつ変えながらスピード化が進んでいる。レッティ監督は上田の環境の自然的要素を高く評価しながらも、スピード化の点で限界を感じていた。練習の質を高められるように地元競技場の全天候化を実現したい。11時間41分で県縦を制するにはそれが必須と考えている。県縦も市町村対抗も勝利することが地元のさらなる支援を引き出すことにつながる。五輪を目指すほどの選手を地元から生み出すこと、さらには上田の練習環境を整備することでどこか国の直前合宿を呼び込める可能性もあると考える。東京五輪を控えるこの時期の飛躍を逃すのは惜しい。

 

大会を前に自身は長野マラソンに出場し、4時間20分かかったが完走した。その前、4月初旬には県ロードレース佐久大会の10キロで刺激を入れ、走れる体にしてきた。練習の気持ちを忘れてはいけないとの思いがあり、新たにロードコースが設定された佐久の競技場の状況を自分の足で確かめる目的もあった。4月をそのように使い、市町村対抗駅伝のために帰ってくる大学生を待った。「今回の市町村は県縦に劣らないくらい重要。上田の将来を決める大会になる。最後は選手の気持ちです」。レッティ監督はそう強調し、上田市の初優勝のために最善を尽くす。

 

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